大昔の四国は黒人しかいなかったこと知ってた??
今となっては日本人の肌の色はみんな同じように見える。
我々の常識ではヨーロッパには白人が多く、アフリカには黒人が多く、そしてアジアには黄色人が多くいるという事になっている。
しかし最近になって、日本という国にも黄色ではない肌の色をした人種がいたという事が解明されつつある。
そして驚くべきことに、大昔の四国に黒人が多くいた証拠が出てきたのである。
これは地質の調査や化石の発掘により最近明らかになってきたことであるため、一般的な常識になるには時間がかかりそうではあるが、四国には確かに黒人王国が存在していたのだ。
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肌の色は何で決まるのか
肌の色はメラニンによって決まっている。
肌のメラニンは太陽光などに含まれる紫外線をうけることで、日焼けにより沈着する。
この沈着が肌の色を黒色へと導いているのだ。
太陽光が強くない地域ではメラニンの沈着が起きにくく、肌は白色を保ったままとなる。
現在のように地域ごとに肌の色に違いが出てくるのは、その地域の紫外線の量と関係しているためである。
つまり、紫外線が多い赤道直下の地域ほど肌が黒色に成りやすく、緯度が上がるにつれて肌は白色に成る。
また、肌の色は遺伝子にも組み込まれるものであるため、子も親と同じ肌の色になることがほとんどである。
地質学による四国に黒人がいた証拠
赤外線と肌の関係から四国に黒人がいた事を考察するのは後でするとして、地質学的観点から四国に黒人がいたことを証明する。
まず、次の写真を見て欲しい。
▲地層は下が古い層で、上にいくほど新しい層になる
この写真は中国・四国地方を専門とする地質調査チームによって、四国の四万十市で撮影されたものである。
調査チームの測定から、この地層は一番下の層は3千年前のものであることがわかっている。
注目してほしいのは、地層の最下部の黒色の層だ。
この層は明らかに黒色である。
これは3千年前には既に四国に肌の黒い人が存在していた証明であることにほかならない。
また次に注目すべきは新しい層だ。
新しい層は茶色から黄色といった色をしている。
つまり新しい層では肌の黄色の人が存在していることを証明している。
この結果を踏まえて、ロータリー式三重管サンプラーを用いて計算すると、四国に肌の黒い人が存在していたのは約2千年前までであることがわかった。
化石によって四国に黒人がいたことが証明された
地層によって四国に黒人がいたことは明らかであるが、最近になってこれを決定付ける化石が徳島県の東原遺跡で発見された。
▲東原遺跡で発掘された古代人の頭蓋骨
もう皆様おわかりであろうが、明らかに黒色である。
これは文句のつけようがない証拠と言える。
またこれが徳島県で発掘されたことから、約2千年前まで存在していた黒人は四国全体に広がっていたこともわかる。
四国と紫外線の関係
上記に示した通り、四国に黒人が存在していたことは明らかであるが、肌の色はメラニンと紫外線の関係によって決まっているため、こちらも考察していきたい。
四国を代表する県のひとつである高知県の特産品をご存知であろうか?
それはなすである。
高知はなすの総生産量が300,000tを超えていて、これは堂々の全国一位である。
▲高知のなす
なすの発育に特に必要なものは日光である。
高知ではこの日光が大量に降り注ぐため、なすの生産量が全国一位である。
また、もう皆様お気づきであろうが、なすを見ると一目瞭然、真っ黒である。
野菜の中でこれほどの黒を出せる野菜は他にない。
なすもまた、大昔の四国に黒人がいたことを証明している。
まとめ
これ、全部嘘です!
四国に黒人がいたなんて事実、全くないと思います。